民主主義の手柄

昨日の東京新聞に掲載された、

神戸女学院大学名誉教授・凱風館館長 内田樹(うちだたつる)氏 の寄稿文に感動したので、自分の備忘録として概要を書いておくことにした。

※ ネットで記事を検索したけど見つからないため、引用のリンクを貼ることができないことを予めご了承ください(内田氏のブログはこちら➡内田樹の研究室)。

安部元首相の銃撃事件等で暗い気持ちになった、未知の青年から届いた質問のメールに答えるかたちで寄稿文は構成されている。

「民主主義とは何でしょう?暴力をもって訴えれば、選挙などなんの意味も持たなくなってしまう。民主主義者はただ暴力に耐えるだけなのでしょうか。そこまでして民主主義を貫く理由はなんなのでしょう?」

以下、内田氏の返信の要約。

ご指摘の通り民主制はあまり出来のよくない制度です。それは国民の一定数が「まともな大人」でないと機能しない制度だからです。「身銭を切ってでも民主制を守ることが自分の責務だ」と思わない人の比率が、ある閾値を超えると民主制は終わります。

しかし、この制度的な弱点こそが民主制の最大の強みでもあると思います。民主制の未来につよい不安を感じる人たちは、「せめて自分だけでもまともな大人になって制度を支えなければ」と感じるようになります。制度そのものが人々に向かって成熟を懇請し、何人かの市民がそれに応える。こんなダイナミックな統治制度は民主制のほかに存在しません。

帝政や王政や貴族政では、少数の統治者だけが「まともな大人」であれば、残るすべての国民が幼児であっても国は治まります。しかし、このシステムは「賢い独裁者」がいなくなると、たちまち機能不全に陥ることになります。

民主制は非能率で無駄の多いシステムです。「お願いだから成熟した良識ある市民になってください」と懇請する。そんなおせっかいな統治システムです。しかしこれが「民主制の手柄」なのだと思います。

現にあなたは「民主制を守る責任が自分にあるのでは」と感じたから僕にメールをくれたのでしょう。あなたのような若い人が民主制の未来について心を痛めている、その事実こそ民主制がとりあえず遂行的に機能しているあかしです。ですから、民主制はまだなんとか機能していると思って、少し安心してください。

最後に内田氏は、「まともな大人」の比率が7%くらいあれば、その集団が自滅的な選択をすることはたぶん防げるだろう。だが、その比率がそろそろ限界に近づきつつある。と結んでいる。

世界中のどこの国でも、たとえ独裁国家であっても「自国は民主主義国家だ」と主張します。

「民主主義」の教科書的な定義は横に置いておいて、内田氏のいう民主主義が本来われわれが望んでいる民主主義であり、われわれが力を合わせて守っていかなければならない普遍的な価値なのだと思います。

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